チルい

2022年06月10日


きょう(2022年6月10日付)の京都新聞朝刊に、目を引いた記事があった。「チルい 低成長、現状維持でOK」――。

記事のリードは、

新型コロナウイルス感染は落ち着いてきたけれど、休日も外出せず家で動画を見る―。そんな過ごし方を表すのに使われる言葉が「チルい」。「経済の低成長を受け入れ、現状維持で良しとする社会を反映している」と専門家は指摘する。

というもの。

「チルい」という言葉は初見ではなかったが、若者言葉でよく意味がわからないもの、とそれほど関心も持っていなかった。しかし、そんな言葉に今朝「再会」を果たすことになった。「三省堂 辞書を編む人が選ぶ『今年の新語2021』」で大賞に輝くなど、若い世代を中心に広がりつつあるそうだ。

CHILL OUT」という「リラクゼーションドリンク」があるのも、そういうカテゴリの飲み物があることも、知らなくて、サイトを開くと、「無理せずチルする?」というキャッチコピーが目に入る。

肝心の意味は、よく分からないが、記事の拠ると、「心身の緊張を解くような、心地よさが感じられる様子」「『まったり』に近いのか」とあり、記事でも推定形……。

記事で目を引いたのは、『寡欲都市TOKYO』の著者、原田曜平氏が、同書中で、世界で最も「チルい」都市は、東京がぶっちぎりで第1位だと断言している点だ。「何も考えなくても、安く、楽に日々生活ができ、様々なレジャーも自然も日常のなかで体験できる。こんな街は世界中どこを探してもありません」とのことだ。「半面、その尾心地の良さが東京の一極集中を加速させ、地方創生を難しくしているとも指摘。東京に比べて「まったり」している地方だが、経済的に厳しく、不便で不足な点も多く、「チル」すらなれないのが実情だとみている。」という。地方再生は何が必要なのかといえば、「人やモノ、資金を今以上に東京に集中させ」「その結果、東京で競争が激化し、チルではなくなる。そうすれば、地方に人や富が向かうはずです」と、記事は結ばれている。

「チル」は既に次世代の”世界標準”なのかもしれない、とも。

4月から、地方創生の現場に携わる仕事をするようになって、京都市外の京都府内の疲弊ぶりに心を痛めているというか、あまりの厳しさにちょっと鳥肌さえ立ちそうになる。期せずして久しぶりの「帰省」となった舞鶴出張でも、舞鶴市内のあまりの静けさに驚いたものだ。

原田氏の言に拠れば、東京がチルくなくなれば、地方に人と富が向かうというが、それまで地方はもたないだろう―。というのが、山田の肌感覚である。京都府内における京都市への一極集中ぶりは、日本と東京の比ではないのかもしれないと感じる。そんなギャップにささやかな抗いと楽しみを見出すために仕事をしているのか?自分の仕事のレーゾンデートルみたいなものをもやもやと朝から考えた。

とはいえ、都会っ子の山田は、京都市内、伏見区に住んでいる自分を思うと、街のチルさを住みこなしているようにも思える。自分の仕事とプライベートのギャップを真剣に考えると、ジレンマで病んでしまいそうになりつつも、同書をamazonで検索して、ポチろうとする生活、昨日立ち上げたブログに連日で書き込みができる幸せ、これらもまたチルいのかもしれない。