ある雑誌の依頼原稿を書くために、最近勉強しているキーワード、「ウェルビーイング」。
近頃では、ふくしの分野だけでなく、教育や経営など、多方面で使われるようになった用語ですね。
宮嶋淳(2014)は、高橋重宏(1994)を引いて、社会福祉とウェルビーイングの関係について、「ウェルビーイング(well-being)という概念は、従来の救貧的なウェルフェア(welfare=福祉)から、「より積極的に人権を尊重し、自己実現を保障する」という意味である。子どもにとっては、単に保護の対象ではなく一個の人間として、権利主体として認められることである。(中略)その転換は貧困対策、救貧対策としての歴史を有する児童福祉から権利保障、自己実現の保障としての児童福祉への道であり、権利保障のプログラムを拡大し、児童と親の豊かな人生を保障するために新たなウェルビーイング(人権保障、自己実現の支援)という概念に基づいたソーシャルサービス・プログラムの整備・拡充への道でもある。」(高橋1994,158-159)としています。
理念としてのウェルビーイング、それを実現するための実践としてのウェルフェアということでしょうか。
また、第4期にあたる現行教育振興基本計画(2023年6月16日)では、「ウェルビーイングとは身体的・精神的・社会的に良い状態にあることをいい、短期的な幸福のみならず、生きがいや人生の意義など将来にわたる持続的な幸福を含むものである。また、個人のみならず、個人を取り巻く場や地域、社会が持続的に良い状態であることを含む包括的な概念である」とされています。
教育振興基本計画に書き込まれたということは、ウェルビーイングは政策目標になったということであり、操作概念の範疇に入ったということができると思います。
ウェルビーイングの定義としてよく引かれている世界保健機関(WHO)憲章の前文には、「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. The enjoyment of the highest attainable standard of health is one of the fundamental rights of every human being without distinction of race, religion, political belief, economic or social condition.」という形で出てきます。日本での定訳は、「健康とは、完全な 肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。到達しうる最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一つである」とされています。
WHO憲章のウェルビーイングの概念には、人権保障、平等、公正といった含意があるようで、上述の宮嶋の説明は、これに比較的忠実にとらえられたものとみることができそうです。
一方で、教育振興基本計画は、国連持続可能な開発目標(SDGs)に(とくに、目標3や目標4の)影響を受けて、そして、何よりも、経済協力開発機構(OECD)の「Learning Compass2030(学びの羅針盤2030)」で、「私たちの望む未来(Future We Want)、つまり個人のウェルビーイングと集団のウェルビーイングに向けた方向性」とされ、「社会的ウェルビーイングという概念は、年月の経過により、これまでの経済や物質的な豊かさよりも多くの意味を含むようになりました。私たちが望む未来には数多くのビジョンが存在するかもしれませんが、社会のウェルビーイングは共通の目的地です」ということに影響を受けているとみることができそうです。OECDは、ウェルビーイングを測れるものだ(可測性のあるもの)と考えているようですね。
ここまでのところで、最近、教育の分野でいわれるようになったウェルビーイングとは、どうも、従前、ふくしの分野でいわれてきたものとは、位相と射程が違うということでしょうか。山田の研究領域(福祉教育・ボランティア学習)に重ね合わせると、ふくしと教育の両分野の「共通言語」としてウェルビーイングをいうことばを、安易に(特段の注意や制限をつけないで)用いることには、漂白剤よろしく「混ぜるな危険」の香りを感じております。ただ、どうにか「共通理解」のもとに共通言語として用いられることにも期待をしているわけなので、このあたりの整理を、引き続き、勉強していければと思います。